1. 福祉国家は成熟したのに、なぜ新しい危機が生まれたのか
戦後の福祉国家が想定していた社会
第二次世界大戦後、多くの先進国では、失業、病気、老後の生活、子どもの養育など、人々が生活のなかで直面するリスクを社会全体で支える仕組みが整えられました。社会保険や年金、失業給付、家族手当などを通じて、働く人々が病気や失業、退職によって所得を失っても、生活がただちに破綻しないようにすることが目指されました。
1960年代末から1970年代初めにかけて、福祉国家は給付水準を引き上げ、保障の対象を広げることで、一定の成熟段階に到達しました。公的福祉だけでなく、企業による福利厚生や民間保険、家族による扶養も組み合わさり、社会全体の福祉を支える仕組みが形成されたのです。
しかし、この仕組みには、当時の社会のあり方を前提とした設計上の特徴がありました。
典型的なモデルは、男性が安定した職業に就いて家族を養い、女性が家事や育児を中心に担う世帯でした。男性は学校教育を終えると長期間にわたって働き、定年後には年金を受け取る。女性は出産や育児を機に仕事を離れ、家庭内で家族の生活を支える。このような人生の道筋が、ある程度一般的なものとして想定されていました。
このモデルでは、家族の主な稼ぎ手が安定した雇用と賃金を得ていれば、家族の生活はおおむね維持できます。そのため、福祉国家の役割は、主として所得を失ったときの補償や、老後の所得保障に置かれました。保育や介護などのサービスを社会が提供する必要性は、現在ほど強く意識されていなかったのです。
社会が変わったのに、制度の前提は変わらなかった
ところが、1970年代以降、経済と社会の条件は大きく変化します。製造業を中心とする雇用構造が変わり、国際競争や技術革新によって仕事の安定性が揺らぎます。女性の就業が広がり、結婚や家族形成のあり方も変わります。さらに、高齢化が進み、老後の期間が長くなるとともに、育児や介護を家族だけで担うことも難しくなっていきます。
こうした変化は、従来の福祉国家が想定していた「標準的な人生」を成り立ちにくくします。
安定した職業に長く就くことが難しくなれば、年金や失業保障の前提も揺らぎます。女性が働き続けるには、子どもの世話や高齢者の介護を支えるサービスが必要です。家族関係が不安定になったり、一人親世帯が増えたりすれば、家族のなかで困難を吸収することも難しくなります。
ここで生じるのは、福祉国家が不要になったという問題ではありません。むしろ、人々が生活を維持するために福祉国家を必要とする場面が増えているのに、既存の制度が新しいリスクに十分対応できていないという逆説です。
2. 新しい社会的リスクをもたらす「トロイの木馬」
グローバル化、高齢化、家族の不安定化
現代の福祉国家に対する圧力を説明するために、著者は「トロイの木馬」という比喩を用いています。外からは立派で無害に見える木馬が城内に運び込まれ、その内部に潜んでいた兵士が都市を襲ったという古代の物語になぞらえ、福祉国家の内部に入り込んだ新しいリスクを説明するものです。
この比喩における「兵士」は、主にグローバル化、高齢化、家族の不安定化です。これらは一つずつでも社会保障に影響を与えますが、より深刻なのは、労働市場と家族という、従来は福祉を生み出す重要な基盤だった二つの仕組みが、同時に不安定化することです。
労働市場で安定した仕事を得られなければ、所得を確保することが難しくなります。家族が生活上の困難を支えられなければ、失業や低所得による打撃はさらに大きくなります。こうして、これまで労働市場と家族が担ってきた福祉の機能が弱まり、その穴を埋めるために福祉国家への需要が高まります。
「新しいリスク」は、誰に集中するのか
新しいリスクは、社会のすべての人に同じように降りかかるわけではありません。若者、女性、低技能労働者、一人親世帯、安定した雇用を持たない人々などは、特に大きな影響を受けやすくなります。
若者は、教育期間の長期化や就職難によって、職業生活を始める時点でつまずくことがあります。就職しても低賃金や短期契約の仕事にとどまれば、職業能力を高める機会が限られ、将来の所得や年金にも影響が及びます。
女性は、仕事を続けたいと考えていても、保育や介護のサービスを利用できなければ、就業を断念したり、働く時間を短縮したりせざるを得ないことがあります。一人親世帯では、子どもの養育と所得確保を一人で担わなければならず、仕事と家庭の両立が難しくなる場合があります。
こうした問題が重なると、困難を抱える人々が社会の周辺に集まり、そこから抜け出しにくくなります。著者が警告するのは、社会全体が豊かになる一方で、その恩恵を受けられる人々と、低所得や不安定な生活から抜け出せない人々との間に、深い亀裂が生まれることです。
3. 福祉国家を支持する世論が、改革の障害になることもある
人々は福祉国家を見放しているのか
福祉国家が危機に直面していると聞くと、人々が社会保障に不満を持ち、制度の縮小を求めているように思えるかもしれません。しかし、著者が紹介する世論調査では、当時の多くの国で、福祉国家に対する支持は根強く、社会保障を後退させるよりも、維持・改善することを求める声が見られました。
特に、年金や医療など、自分自身や家族が利用する可能性の高い制度は、幅広い人々から支持されます。普遍的な制度は、多くの人が人生のどこかの時点で受益者になるため、社会的な連帯を生みやすいという特徴があります。
この点は重要です。福祉国家は、単に困窮者だけを支援する制度ではありません。病気、育児、失業、老後など、誰もが直面し得るリスクを共同で引き受ける仕組みでもあります。
既存の受益者を守ることが、新しい受益者を置き去りにする
しかし、福祉国家への支持が強いことは、必ずしも新しい社会的リスクへの対応を意味しません。
すでに年金や医療などの給付を受けている人々は、既存の制度を守ることに強い関心を持ちます。これに対し、まだ十分な職業経験を持たない若者や、子育てと仕事の両立に困難を抱える若い家族は、制度の改革を求める政治的な力を持ちにくい場合があります。
財政に制約があるなかで、既存の年金や給付を維持することが優先されれば、保育、職業訓練、若者の就業支援など、新しいリスクへの対策が後回しになる可能性があります。
ここで起こるのは、福祉国家を支持する人と反対する人との単純な対立ではありません。福祉国家を支持する人々の間で、どのリスクを優先し、誰に資源を配分するかという対立です。
著者の問題提起は、既存の福祉制度を守ることが、それ自体では不十分になり得るという点にあります。過去のリスクを対象にした制度をそのまま維持すれば、制度の外側にいる人々の問題が見えにくくなり、福祉国家が新しい不平等を固定化してしまうこともあるのです。
4. 労働市場の変化が、新しい不平等を生み出す
雇用を増やすための規制緩和と、その代償
新しい社会的リスクを理解するうえで、重要なのが「雇用を増やすこと」と「平等を守ること」の関係です。労働市場の規制を緩和すれば、企業は採用や人員調整を行いやすくなります。しかし、その結果として雇用が増えても、賃金の格差や雇用の不安定さが拡大する可能性があります。
著者は、各国の対応を比較しながら、福祉レジームによって新しいリスクへの対応が異なることを示しています。
自由主義的なレジームでは、賃金の柔軟化、労働組合の影響力の低下、雇用保護の後退などを通じて、労働市場の規制を緩める傾向が見られます。企業が人を雇いやすくなる一方で、労働者の交渉力が弱まれば、低賃金や不安定な雇用が広がるおそれがあります。
さらに、企業が低賃金の労働者を容易に確保できる環境では、労働者の技能を高めるための訓練に投資する動機が弱くなる可能性があります。企業が高い技能を必要としない仕事を低賃金で埋め合わせられるなら、労働者を育成するよりも、代わりの人を採用する方が簡単だからです。
このような状況が続けば、低技能の仕事が多く残り、労働者の技能形成も進まないという「低技能均衡」に陥る可能性があります。短期的には採用しやすくても、長期的には労働者の能力開発や産業の競争力を損なうことになりかねません。
雇用保護が強い国では、誰が仕事から排除されるのか
一方、雇用保護や労働者の権利を重視する国では、既存の従業員の賃金や雇用が守られやすくなります。しかし、その保護が安定した仕事に就いている人々に集中すると、若者や女性、新たに仕事を探す人々が不利な立場に置かれることがあります。
著者は、これを「インサイダー」と「アウトサイダー」の分断として捉えています。インサイダーは、雇用保護や賃金、福利厚生などの恩恵を受ける中核的な労働者です。アウトサイダーは、失業者や短期契約の労働者、安定した仕事に入れない若者などです。
スペインの事例として取り上げられるのは、期限付き雇用契約の拡大です。新規採用の多くが期限付きとなっても、安定した雇用へ移行できる人が限られていれば、既存の正規雇用者と新規採用者の間に大きな格差が生まれます。企業は中核となる従業員を長期的に育成する一方、期限付きの労働者を、必要に応じて増減させる人員として扱いやすくなります。
この場合、柔軟な雇用契約が増えても、労働市場全体の機会が平等になったとは言えません。むしろ、既存の労働者の安定を守る仕組みが、新しい労働者の不安定さを固定することがあります。
北欧の「第三の道」は、なぜ注目されたのか
著者が対照的なモデルとして取り上げるのが、デンマークやスウェーデンなどの北欧諸国です。北欧では、比較的高い水準の所得保障、積極的な労働市場政策、公的サービスによる雇用の創出を組み合わせ、雇用と平等の両立を目指してきました。
ここでは、雇用を維持することだけでなく、失業した人が訓練を受けて新しい仕事に移ることも重視されます。保育や介護などの公共サービスは、生活を支えると同時に、多くの人が働く場所にもなります。特に女性が就業しやすい環境を整えることは、世帯所得の安定と雇用機会の拡大につながります。
ただし、このモデルも万能ではありません。公的サービスの雇用が大きくなるほど、財政負担が増加します。また、賃金の平等性を維持しながら、労働集約的なサービスの費用を抑えることは容易ではありません。
著者は、北欧の経験を「平等か雇用か」という二者択一を完全に解消するものとしてではなく、制度の組み合わせによって、その対立を和らげる可能性を示すものとして扱っています。
5. 家族の変化が、福祉の格差を広げる
家族は、福祉を生み出す重要な基盤だった
福祉国家の機能を考えるとき、政府や市場だけを見ていては不十分です。家族もまた、所得、育児、介護、日常生活の支援などを通じて、福祉を生み出してきました。
戦後の社会保障制度は、家族のなかに安定した稼ぎ手がいることを前提としていました。世帯主が仕事を持ち、安定した賃金を得ていれば、配偶者や子どもを扶養することができます。高齢者についても、年金や家族からの支援を組み合わせることで、生活を維持することが想定されていました。
しかし、家族の形が多様化し、結婚や家族関係が不安定になると、こうした前提は崩れます。一人親世帯が増えたり、夫婦のどちらかが失業したりすれば、家族内で生活上のリスクを吸収することが難しくなります。
さらに、家族が育児や介護を担うために誰かが仕事を辞めれば、世帯の所得が減るだけでなく、その人の職業経験や将来の年金にも影響します。家族による支援は、生活を支える大切な仕組みですが、家族だけに依存すれば、かえってリスクが集中する場合があるのです。
共働き世帯は、なぜ生活のリスクに強いのか
著者は、共働き世帯が持つ利点にも注目しています。夫婦の双方が働いていれば、一方が失業したり、収入が減少したりしても、もう一方の所得によって家計を支えられる可能性があります。世帯の所得源が一つだけの場合に比べて、失業やキャリアの中断に対する耐性が高くなるのです。
共働き世帯は、育児や家事、介護などを外部のサービスに頼る必要も生じやすくなります。保育や介護、家事支援などのサービスを利用することは、家族の時間的な制約を軽減し、就業を継続する助けになります。そして、サービスへの需要が増えれば、サービス産業の雇用を支えることにもつながります。
つまり、家族の就業を支援する政策は、個々の家庭の問題にとどまりません。世帯所得の安定、女性の就業機会、サービス産業の需要、社会全体の雇用という複数の問題を結びつける政策でもあります。
ただし、共働きであれば必ず安定するわけではありません。夫婦双方が失業することもあり、低賃金の仕事を二人で担っていても十分な所得を得られない場合があります。重要なのは、共働きという家族形態を促すことだけでなく、働く機会、保育・介護サービス、所得保障を一体的に整えることです。
一人親世帯の貧困は、福祉国家の違いを映し出す
一人親世帯、とりわけ母親が子どもを育てながら働く世帯は、新しい社会的リスクが集中する例として取り上げられています。子どもの養育と所得確保を一人で担う場合、保育サービスが利用できなかったり、柔軟な働き方ができなかったりすると、就業そのものが難しくなります。
著者が比較する北欧諸国とアメリカの違いは、単に現金給付の水準だけでは説明できません。スウェーデンでは、一人親の就業を支える保育などのサービスがあり、仕事から得る所得と社会保障を組み合わせやすい仕組みが整えられていました。一方、アメリカでは、公的支援が限られ、一人親が安定した仕事に就くことも難しければ、貧困から抜け出す道が狭くなります。
この比較から浮かび上がるのは、福祉給付の重要性を否定することではありません。所得保障だけでなく、働ける条件を整えることが、貧困の予防にとって大きな意味を持つということです。
保育サービスや就業支援は、単なる支出ではありません。親が働き続け、技能や経験を蓄積し、将来の所得を得られるようにするための投資として捉えることができます。子どもの生活環境や教育機会を守ることにもつながり、次世代に貧困が引き継がれる可能性を小さくします。
6. 福祉レジームの違いは、どのリスクを誰が引き受けるかに表れる
社会民主主義的レジーム――サービスと就業機会を重視する
北欧諸国に代表される社会民主主義的レジームでは、比較的普遍的な社会保障に加えて、保育、介護、職業訓練、就業支援などのサービスを重視します。特に若い世帯や子育て世帯が仕事を続けられるように支援することが、新しい社会的リスクへの対応の柱になります。
このモデルでは、生活上のリスクを家族だけに任せず、社会全体で支えることが目指されます。女性が就業を続けやすくなり、世帯所得の安定につながるだけでなく、公共サービス自体が雇用の受け皿にもなります。
一方、公共サービスの提供には継続的な財源が必要です。サービスの生産性を急速に高めることが難しい分野では、人件費が増えやすく、財政や税負担の問題が生じます。したがって、サービスの拡充と、財源・人材の確保をどのように両立させるかが課題となります。
保守主義的レジーム――所得保障を重視し、家族への依存が残る
大陸ヨーロッパに代表される保守主義的レジームでは、従来からの所得移転や、安定した雇用に就いている労働者の保護が重視されてきました。年金や所得保障など、既存の生活保障を維持する仕組みは重要な役割を果たします。
しかし、保育や介護などのサービスが十分に整備されなければ、生活上の支援を家族が担う割合が高くなります。世帯主の安定した所得に依存する仕組みが強いほど、家族の主な稼ぎ手が失業した場合の影響は大きくなります。
また、既存の労働者の雇用保護が優先されると、若者や女性が安定した雇用に入ることが難しくなる可能性があります。所得保障の制度が存在していても、仕事を得る機会や家族の負担を軽減するサービスが不足すれば、新しいリスクに十分対応できません。
自由主義的レジーム――市場への依存を強める
アメリカやイギリスなどの自由主義的レジームでは、雇用や生活上のリスクへの対応を市場に委ねる傾向が強くなります。仕事を得ることによって生活を支えるという考え方が重視され、低所得の労働者に対する税制上の支援や給付付き税額控除などが用いられる場合もあります。
しかし、賃金が低く、雇用が不安定で、保育や介護の費用も高ければ、働くことだけでは生活を安定させられない場合があります。市場を通じてサービスを購入できる人と、費用を負担できない人との間に格差が生じる可能性もあります。
このモデルでは、就業を促すことが重要である一方、就業しても貧困から抜け出せない人々への支援が課題になります。働くことを求めるだけでなく、働いた結果として十分な所得を得られるか、必要なサービスを利用できるかを考えなければなりません。
7. 古い福祉国家を、現代のリスクに合わせて組み替える
現金給付中心から、サービスと就業支援の組み合わせへ
戦後の福祉国家は、失業や老後などによって所得を失った人々を支えるため、年金や失業給付などの現金給付を発展させてきました。しかし、現代の社会的リスクは、所得の不足だけでなく、働く機会の不足、技能形成の遅れ、育児や介護の負担、家族の不安定化など、複数の問題が絡み合っています。
そのため、現金給付を維持するだけでは十分ではありません。子どもを預けられる保育サービス、家族の介護を支える仕組み、失業者が技能を身につけて再就職するための支援など、実際の生活や就業を支えるサービスが必要になります。
ここで大切なのは、現金給付とサービスを対立させないことです。所得保障があれば、生活を維持しながら求職活動や訓練に取り組めます。サービスが整っていれば、育児や介護を担う人も働き続けやすくなります。両者を組み合わせることで、生活保障と就業機会を同時に支えることができます。
高齢者への保障と、若い世帯への支援を対立させない
福祉国家の改革では、年金や高齢者向けの保障を守ることと、若者や子育て世帯への支援を拡充することが、限られた財源をめぐる対立として現れることがあります。
しかし、高齢者の生活保障を削減することだけが、若い世帯を支援する方法ではありません。重要なのは、既存の制度がどのようなリスクに対応しているのかを再点検し、現在の社会で深刻化している問題に必要な資源を配分することです。
若者の就業や技能形成、子どもの育ち、家族のケアを支える政策は、将来の所得や社会参加にも影響します。若い世帯が安定した生活を送り、仕事を続けられるようになれば、税や社会保険料を支える基盤も強くなります。
この意味で、若い世帯への支援は、特定の世代だけを優遇する政策ではありません。社会全体が将来にわたって福祉を生み出せるようにするための政策でもあります。
福祉国家の役割は、市場と家族の力を育てること
著者が目指すのは、福祉国家を無条件に拡大することでも、反対に縮小することでもありません。福祉国家が市場と家族の機能を支え、それらが生活を支える力を取り戻せるように制度を再構成することです。
市場は、仕事や所得を生み出す重要な仕組みです。しかし、雇用が不安定であったり、賃金が低すぎたりすれば、市場だけでは人々の生活を保障できません。家族もまた、生活を支える基盤ですが、育児や介護、所得確保を家族だけに任せれば、家族自身が疲弊する可能性があります。
福祉国家には、所得保障や公共サービス、職業訓練などを通じて、市場と家族が十分に機能できる条件を整える役割があります。保育サービスは親の就業を支え、教育や訓練は労働者の技能を高め、所得保障は失業や生活上の困難から立ち直るための時間を与えます。
このように考えると、福祉国家は市場や家族に代わってすべてを行う存在ではありません。市場や家族が福祉を生み出せるように、その能力を育てる存在でもあるのです。
8. 新しい社会的リスクへの対応は、社会の分断を防ぐためにある
「Aチーム」と「Bチーム」の溝を広げない
新しい社会的リスクが放置されると、安定した仕事と所得を持つ人々と、不安定な仕事や失業、貧困に直面する人々との間に、格差が固定される可能性があります。
安定した仕事に就いている人は、所得を得るだけでなく、職業経験や技能を蓄積し、将来の年金や生活設計を整えやすくなります。一方、若い時期に失業や低賃金を経験し、その状態が長く続けば、技能形成やキャリア形成の機会を失い、将来も低所得にとどまるリスクが高まります。
こうした違いが世代を超えて引き継がれると、社会は二つに分かれていきます。安定した雇用や生活保障を持つ人々が「Aチーム」にとどまり、そこから排除された人々が「Bチーム」として周辺化されるという構図です。
福祉国家の役割は、すでに安定した生活を送っている人々を守ることだけではありません。困難に直面した人々が、そこから抜け出し、教育や仕事、社会参加の機会を取り戻せるようにすることも重要です。
公正な改革とは、最も不利な人々の生活を改善すること
福祉国家の改革を評価する際には、制度変更によって社会全体の経済活動が活発になったかどうかだけでなく、最も不利な立場にある人々の生活が改善したかどうかを見る必要があります。
著者は、誰かが利益を得る一方で、別の人が損失を被ることを当然とする考え方に疑問を投げかけています。社会保障の改革は、豊かな人々の所得や選択肢をさらに増やすためだけに行うものではありません。貧困や失業、社会的排除に直面する人々が、よりよい生活を送れるようにすることが重要です。
この考え方は、社会民主主義的な平等の理念に近いものです。特に、若者や若い家族が直面するリスクを軽減し、教育、仕事、育児、生活保障へのアクセスを確保することが、社会全体の連帯を維持するための条件になります。
9. 福祉国家の再建に向けて
古い福祉国家は、工業社会の安定した雇用と標準的な家族を前提に発展しました。その仕組みは、所得を失ったときの保障や老後の生活を支えるうえで大きな成果を上げてきました。しかし、グローバル化、高齢化、家族の不安定化によって、従来の制度では十分に対応できないリスクが広がっています。
新しいリスクに直面するのは、若者、女性、低技能労働者、一人親世帯など、安定した仕事や家族の支援を確保しにくい人々です。彼らが困難を抱えたまま社会の周辺に取り残されれば、福祉国家が存在していても、社会的な平等や連帯は弱まっていきます。
だからといって、福祉国家を縮小すれば問題が解決するわけではありません。所得保障を弱めれば、失業や低賃金による生活上のリスクは、かえって個人や家族に集中する可能性があります。必要なのは、制度の規模を単純に拡大・縮小することではなく、社会的リスクの変化に合わせて、保障の対象や方法を見直すことです。
その中心になるのが、若い世帯への支援、保育や介護などのサービスの充実、職業訓練と再就職支援、そして仕事と生活を両立できる環境づくりです。現金給付とサービスを組み合わせ、家族だけに生活上の負担を押しつけず、労働市場から排除された人々が再び参加できるようにすることが重要です。
福祉国家の本当の危機は、社会保障が多すぎることでも、少なすぎることでもありません。社会のリスクが変化しているのに、保障の仕組みが過去の社会を前提としたままになっていることです。
ポスト工業社会にふさわしい福祉国家をつくるには、既存の受益者を守ることと、新たなリスクに直面する人々を支えることを対立させるのではなく、双方が安定した生活を送れる制度を構築する必要があります。市場と家族が福祉を生み出す力を取り戻し、誰もが教育や仕事、生活保障への道を失わない社会をつくること。それが、古い福祉国家を新しい時代に適応させるための核心です。
