家族は、食事をつくり、子どもを育て、病気の人を看病し、高齢者を支える生活の基盤です。しかし、こうした活動は家庭のなかで行われるため、賃金や売上高のような経済指標には表れにくいものです。

たとえば、保育所に子どもを預ければ、保育士の労働とサービスの対価が経済活動として計上されます。一方、親が自宅で子どもの世話をしても、その労働に賃金が支払われるわけではありません。それでも、子どもが健やかに育ち、親が安心して生活できるという意味では、どちらも社会にとって重要な価値を生み出しています。

この違いは、単なる会計上の問題ではありません。家庭内の無償労働に依存する社会と、保育や介護などのサービスを社会全体で提供する社会とでは、人々の働き方、男女の役割分担、出生率、貧困の発生、さらには福祉国家の財政基盤まで変わってくるからです。

家庭経済を理解する鍵は、家族を消費の単位としてだけでなく、福祉を生産する主体であり、社会の制度を変化させる主体でもあると捉えることにあります。

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1. 家族は、社会を支える制度であり、社会を変える主体でもある

家族は家庭生活だけでなく、社会全体の仕組みを支えている

家族は、親子や夫婦などの個人的な関係だけで成り立っているわけではありません。人々が何を当然と考え、どのような責任を引き受け、どのように生活を営むかを方向づける社会制度でもあります。

たとえば、子どもが生まれたら母親が仕事を辞めて育児を担うのが当然だと考えられる社会と、母親も父親も働き続けながら、保育サービスを利用して子どもを育てる社会とでは、家族の行動が異なります。家族の行動が違えば、企業が求める働き方、必要とされる公共サービス、税や社会保険の仕組みも変わります。

つまり、家族は社会制度の影響を受けるだけではありません。家族がどのように生活するかによって、社会制度そのものも変化していきます。

この点を理解するには、個々の家族と、社会全体の家族制度を区別する必要があります。一組の夫婦が共働きを始めても、社会全体が直ちに変わるわけではありません。しかし、多くの家庭で共働きが一般化すれば、専業主婦を標準とした制度や働き方は維持しにくくなります。保育所の需要が高まり、長時間労働の見直しが求められ、家事や育児を誰が担うのかという問題も改めて問われるようになります。

個々の家庭の選択が積み重なると、社会の常識そのものが変わるのです。

家族は、国家や市場では代替しきれない働きをしている

近代化が進むと、家族や地域共同体の役割は小さくなり、福祉国家や市場がその機能を引き継ぐと考えられることがあります。実際、医療保険や年金、保育、介護などの制度が整備されれば、家族が単独で負担しなければならないリスクは軽減されます。

しかし、家族が福祉を生み出す役割を失ったわけではありません。

食事を準備すること、子どもの日々の成長を見守ること、家族の体調の変化に気づくこと、困ったときに相談に乗ることなどは、現代でも家庭のなかで行われています。これらの活動は、単純に市場の商品や公的サービスへ置き換えられるものではありません。

家族は、市場で販売される財やサービスを消費するだけでなく、生活に必要な財やサービスを自ら生み出しています。家庭での福祉生産を考えることは、経済活動の範囲を賃金労働や企業活動だけに限定しないという意味を持っています。

2. 家庭は「福祉を生産する場所」である

福祉は、給付金を配るだけでは実現しない

福祉という言葉から、年金、生活保護、児童手当、医療保険などを思い浮かべる人は多いでしょう。これらは人々の暮らしを支える重要な制度です。しかし、給付金を受け取ることと、実際に必要なケアを受けることは同じではありません。

高齢者に年金が支給されても、食事の準備や入浴、通院の付き添いが必要であれば、それを担う人やサービスが必要です。子育て世帯に給付金が支給されても、親が仕事をしている時間に子どもを預かる仕組みがなければ、就業を継続することは難しくなります。

福祉を実現するには、所得を確保するだけでなく、実際に人々の生活を支える活動が必要なのです。

家庭経済を考える際には、福祉の提供を、国家、市場、家族という三つの領域に分けて捉えることが役立ちます。国家は社会保障や公共サービスを提供し、市場は有料の保育・介護サービスなどを提供し、家族は日常生活の支援や無償のケアを担います。これらが組み合わさることで、社会全体の福祉が成り立っています。

なお、実際の社会では、非営利団体、慈善団体、地域組織、ボランティアなども福祉の提供に関わっています。そのため、三つの領域は福祉を考えるための基本的な枠組みであり、現実の担い手が三者だけに限られるわけではありません。

無償の家事労働は、経済統計に表れにくい

家庭内で行われる家事やケアの多くは、賃金が支払われない無償労働です。料理、掃除、洗濯、育児、家族の看病、高齢者の介護などがその代表例です。

これらは市場で取引されないため、通常の国内総生産(GDP)には、その労働自体の価値が直接計上されません。家族が自宅で食事をつくってもGDPにその労働の価値は直接加算されませんが、外食店で食事を購入すれば、サービスの対価が経済活動として計上されます。

もちろん、GDPには家事労働以外にも計上されない活動があり、GDPは生活の豊かさをすべて測る指標ではありません。それでも、この違いは、社会が生み出している価値をどのように把握するかという重要な問題を示しています。

家事労働が無償であるからといって、価値がないわけではありません。もし誰も食事をつくらず、子どもの世話をせず、病気の家族を支えなければ、社会生活そのものが成り立たなくなります。

さらに、無償労働の負担が誰に集中しているかも重要です。家庭内の仕事が主として女性によって担われていれば、女性は賃金労働に使える時間を制約され、所得や職業経験、将来の年金にも影響を受ける可能性があります。

家庭経済を分析するとは、家庭の収入と支出を計算するだけではありません。誰が生活を支える仕事をしているのか、その仕事によって誰の時間と選択肢が制約されているのかを明らかにすることでもあります。

家庭内の労働を、すべて家族に任せてよいのか

家庭が福祉を生産する重要な主体であることと、家庭に福祉の責任を集中させることは別の問題です。

家族の介護能力には限界があります。家族の一人が重い介護を必要とすれば、別の家族が仕事を辞めたり、勤務時間を減らしたりすることがあります。育児についても、利用できる保育サービスがなければ、親は就業を断念せざるを得ない場合があります。

このようなとき、家庭の努力だけで問題を解決しようとすると、支援を担う人の生活が犠牲になることがあります。また、家族のいない人や、親族との関係が疎遠な人は、同じような支援を受けられない可能性があります。

したがって、家族の役割を尊重することは、家族にすべてを任せることを意味しません。家族が担える部分と、公的サービスや市場、地域の支援によって補うべき部分を見極めることが必要になります。

3. 家族の形は変わっても、福祉を必要とする人はなくならない

「男性が働き、女性が家庭を守る」というモデルは普遍的ではない

20世紀半ばの工業社会では、男性が賃金労働によって家計を支え、女性が家事や育児を中心に担う家族モデルが、社会政策の標準として扱われることがありました。このモデルでは、男性の雇用と所得が安定すれば、家族全体の生活も安定すると考えられます。

しかし、これは人類の歴史を通じて一貫して存在してきた家族の形ではありません。家庭の働き方は、産業構造、労働市場、生活水準、政策などによって変わってきました。

また、歴史的に見ても、核家族が工業化によって初めて生まれたという説明は単純すぎます。核家族は近代工業社会が成立する以前から広く存在していました。家族の形と福祉の担い方は、工業化という一つの要因だけでは説明できません。

重要なのは、家族の形が変わることと、家族が福祉を担う役割を失うことを同一視しないことです。親子だけで暮らす世帯でも、子育てや介護は必要です。共働き世帯でも、家事やケアがなくなるわけではありません。むしろ、誰がそれを担うのかという問題が、より明確に表れることがあります。

家族の多様化によって、従来の制度から漏れる人が生まれる

共働き世帯、ひとり親世帯、単身世帯、再婚家庭、親と同居する成人した子どもなど、家族のあり方は多様です。こうした多様化に対し、制度が一つの家族像を前提にしたままであれば、実際の生活との間にずれが生じます。

たとえば、社会保障の資格や給付が、配偶者の雇用や所得に強く結びついているとします。その場合、配偶者の収入や社会的地位を通じて保障を受ける人は、結婚関係が不安定になったときや、離婚したときに生活基盤を失いやすくなります。職歴が中断している人や、安定した雇用に就いていない人も、十分な保障を受けにくい場合があります。

また、親の支援を前提にした制度や慣行は、家族関係が良好で、親に経済的な余裕がある人には機能しても、そうでない人には機能しません。

このように、家族の多様化は単なる生活様式の変化ではありません。福祉制度がどのような人を標準的な利用者として想定しているのかを問い直すきっかけになります。

4. 「家族主義」と「脱家族化」が、福祉国家の違いを生み出す

家族主義とは、家族が福祉の責任を負うことを前提とする仕組みである

家族主義とは、福祉やケアに関する責任を、まず家族が引き受けるべきだと考える制度や政策のあり方です。家族が困っている人を支えること自体が問題なのではありません。問題となるのは、家族の支援を受けられることが当然視され、国家や市場による代替的な支援が十分に整備されない場合です。

たとえば、高齢の親の介護は子どもが担うべきだという考え方が強く、公的な在宅介護サービスや施設が十分に提供されなければ、家族は介護を担うために仕事や生活を調整せざるを得なくなります。子どもの保育についても、家庭で育てることが当然視され、利用しやすい保育サービスが不足していれば、親、とりわけ母親の就業は制約されます。

ここで大切なのは、家族主義が強い社会ほど、必ずしも家族向けの政策が充実しているわけではないという逆説です。家族が担うべきだという考え方が強ければ、かえって公的なサービスの整備が後回しになることもあります。

家族の役割を重視することと、家族を支援する制度を充実させることは、同じではないのです。

脱家族化とは、家族への過度な依存を減らすことである

これに対して「脱家族化」とは、人々が生活を維持するために家族の所得や無償のケアに過度に依存しなくてもよい状態をつくることです。

これは家族を不要なものと考える立場ではありません。家族の支援が得られない場合でも、必要なサービスや所得を確保できるようにし、個人が家族関係に左右されすぎずに生活できる可能性を広げる考え方です。

脱家族化を進める制度には、利用しやすい保育サービス、介護サービス、個人の権利に基づく所得保障、家族から独立して生活するための支援などがあります。

こうした制度があれば、育児や介護を担う人が仕事を辞めずに済む可能性が高まります。配偶者の収入に頼らざるを得ない人も、経済的に自立する選択肢を持ちやすくなります。

脱家族化は、福祉国家が市場への依存を軽減する「脱商品化」という考え方とも関係しています。ただし、両者は同じではありません。脱商品化が、賃金を得られなくても一定の生活を維持できるかという問題を扱うのに対し、脱家族化は、家族の支援がなければ生活できない状態をどこまで緩和できるかという問題を扱います。

北欧型と家族主義的な社会では、ケアの担い方が異なる

国際比較では、保育や高齢者ケアなどの公的サービスを広く提供する北欧諸国が、脱家族化の進んだ例として取り上げられます。一方、南ヨーロッパの一部の国や日本などでは、家族がケアを担う比重が相対的に大きい傾向が指摘されてきました。

ただし、国の違いを理解する際には、公的支出だけを見て判断することはできません。公的サービスが少ない場合でも、市場で有料サービスを購入している社会と、家族が無償でケアを担っている社会では、実態が異なります。

同じように、高齢の親と子どもが同居しているからといって、必ずしも介護負担が大きいとは限りません。本人たちが望んで同居している場合もあれば、経済的な事情によって同居せざるを得ない場合もあります。家族のケア負担を正確に理解するには、世帯構成だけでなく、実際の生活時間や支援の内容を調べる必要があります。

国際比較から得られる重要な示唆は、福祉国家の違いが給付金の額だけではなく、誰がケアを担うかという社会の仕組みの違いにも表れるということです。

5. 保育や介護サービスは、女性の就業と経済的自立を支える

家事や育児に使う時間は、就業できる時間を左右する

働きたい人がいても、家庭で担わなければならない仕事が多ければ、就業を継続することは難しくなります。子どもの預け先がなければ勤務時間を確保できず、家族の介護が必要になれば、仕事を休んだり辞めたりすることもあります。

ここで重要なのは、女性の就業を個人の意欲や能力だけで説明できないことです。教育を受け、仕事を続けたいと考えていても、保育や介護のサービスが不足していれば、その希望を実現することは難しくなります。

反対に、保育サービスが利用しやすくなれば、親が仕事に使える時間が増えます。家族の介護を支えるサービスがあれば、働きながら介護を続けたり、仕事への復帰を目指したりすることも可能になります。

家庭内の無償労働は、個人の時間の使い方だけでなく、社会全体の労働供給にも影響を与えているのです。

男女の家事分担だけでは、問題を解決できない場合がある

家事や育児の負担を減らす方法として、男性がより多くの家事を担うことは重要です。家族内の役割分担が偏っていれば、負担の公平性という観点からも見直す必要があります。

しかし、家庭内での分担を変えるだけでは、必要なケアの総量そのものを減らせない場合があります。夫婦がともに仕事をしている家庭で、子どもの世話や高齢者の介護をすべて家庭内で行おうとすれば、どちらかが仕事の時間を減らすか、双方が大きな負担を抱えることになります。

そこで、保育所や介護サービスなど、家庭の外で利用できるサービスが重要になります。家族内の分担を改善すると同時に、必要なケアを社会全体で支える仕組みを整えることが、就業の継続や経済的自立を支えるうえで効果的です。

もちろん、家事や育児には、家族自身が担いたいと考える活動もあります。すべてを外部サービスに委ねることが望ましいわけではありません。大切なのは、家族が自らの意思で担うことと、ほかに選択肢がないために担わざるを得ないことを区別することです。

ケアサービスは、支出であると同時に経済基盤でもある

保育や介護のサービスを整備するには、財源も人材も必要です。そのため、福祉サービスは財政負担として議論されることが少なくありません。

しかし、ケアサービスの効果は、サービスそのものを提供することだけにとどまりません。親が就業を続けられれば家計所得を確保しやすくなり、企業は経験を積んだ人材の離職を防ぎやすくなります。女性の就業が増えれば、所得税や社会保険料の負担者も増える可能性があります。

介護についても、家族が仕事を辞めずに済めば、本人の所得や職業経験が維持され、企業にとっても人材を失うリスクを減らせます。

つまり、ケアサービスへの支出は、短期的には費用がかかるものの、就業機会や所得を支え、社会保障の基盤にも影響する投資としての側面を持っています。

6. 家族政策は、出生率と福祉国家の持続可能性にも関わる

子どもを持つことと、仕事を続けることは両立できるのか

子どもを育てるには、時間とお金が必要です。子どもの数が増えれば、家計の支出が増えるだけでなく、育児に使う時間も増えます。親が働き続けたいと考えていても、保育サービスが不足していたり、柔軟な働き方を選べなかったりすれば、仕事と子育てを両立することは難しくなります。

このため、出生率を考える際には、個人の価値観だけでなく、仕事と家庭生活を両立できる社会環境に目を向ける必要があります。

子どもを持つことと働くことが強く対立する社会では、女性は仕事を優先するか、出産や育児を優先するかという厳しい選択を迫られやすくなります。その結果、希望する子どもの数を実現できなかったり、出産そのものを先送りしたりすることがあります。

一方、保育サービスが利用しやすく、仕事を続けながら子育てができる社会では、就業と出産の両立が比較的容易になります。

女性の就業率が高い国ほど、出生率が低いとは限らない

女性の就業が増えると、育児に使える時間が減るため、出生率は低下するという見方があります。実際、過去の国際比較では、女性の就業率が高い国ほど出生率が低いという関係が観察された時期もありました。

しかし、就業と出生率の関係は、時代や社会制度によって変わります。保育サービスや家族支援が整備されれば、女性が働くことと子どもを持つことを両立しやすくなるためです。

エスピン=アンデルセンの議論では、女性の就業と出生率の関係が、かつての単純な負の関係から変化したことが重視されています。女性の就業を支えるサービスの充実は、就業率だけでなく、家族形成の可能性にも関係するという見方です。

ただし、保育サービスを充実させれば必ず出生率が上昇する、という単純な因果関係が成り立つわけではありません。住宅費、雇用の安定性、賃金、教育費、若年層の失業、将来への見通しなども、子どもを持つ判断に関わります。

重要なのは、出生率を上げるために女性の就業を抑えるのではなく、仕事と子育てを両立できる条件を整えることです。

家族主義が、低出生率を固定化することがある

家族主義が強い社会では、子どもの養育費や生活費、若者の自立に必要な費用を家族が負担することが当然視される場合があります。ところが、若者の雇用が不安定で、親から独立するための所得を得られなければ、結婚や家族形成を先送りせざるを得なくなることがあります。

さらに、子育てや介護を家庭内で担うことが強く求められれば、仕事と家庭の両立が難しくなり、子どもを持つことへの負担感が高まります。

こうして、若年層の経済的不安定、家族への依存、出生率の低下が互いに影響し合う可能性があります。

出生率が低下すると、将来の労働力人口や社会保険料の負担者が減少し、高齢者を支える制度の持続可能性にも影響します。もちろん、年金や医療制度の持続可能性は出生率だけで決まるわけではありません。生産性、賃金、就業率、制度設計なども関係します。それでも、子育てを家庭だけに任せず、社会全体で支える仕組みを整えることは、将来の社会基盤を考えるうえで重要です。

7. 福祉国家を考えるには、家族の外側だけでなく内側を見る必要がある

同じ福祉国家でも、家族の負担は同じではない

福祉国家を比較するとき、公的な年金や社会保障への支出、失業給付の水準などに注目することがあります。これらは重要な指標ですが、それだけでは人々の生活を十分に理解できません。

公的な給付が比較的少ない国でも、家族が育児や介護を多く担っていれば、表面上は生活が維持されているように見えるかもしれません。しかし、その背後では家族の誰かが無償労働を担い、就業や余暇の機会を失っている可能性があります。

また、公的サービスが少ないことによる影響は、所得によって異なります。所得の高い家庭は民間の保育や介護サービスを購入できても、所得の低い家庭は家族の無償労働に頼らざるを得ない場合があります。

そのため、福祉国家の評価には、公的支出だけでなく、家族が提供しているケアの量、サービスの利用しやすさ、男女の無償労働時間、家族から独立して生活できる可能性などを組み合わせて考える必要があります。

福祉国家は、家族の形に合わせて制度を変える必要がある

戦後の福祉国家は、安定した雇用と、男性が主な稼ぎ手となる家族モデルを前提に発展してきた面があります。しかし、共働き世帯が増え、家族の形が多様化した現代では、その前提だけでは対応できません。

家族に依存する制度は、家族が支援を提供できる場合には機能します。しかし、家族が支援できない場合や、支援を担う人自身が就業や健康上の問題を抱えている場合には、制度の弱点が表面化します。

だからこそ、家族に期待される役割を明確にしたうえで、保育、介護、所得保障、就業支援などを組み合わせる必要があります。家族のつながりを維持することと、個人が家族から経済的・社会的に自立できることは、必ずしも対立しません。

むしろ、家庭の外にも利用できる支援があるからこそ、家族が過度な負担を抱えずに互いを支えられる場合があります。

8. 家庭経済を理解すると、社会の見え方が変わる

家計の問題は、家計だけで解決できるとは限らない

家庭の経済問題は、収入と支出の管理や貯蓄の工夫だけでは説明できません。家計の収入を得るために誰が働けるのか、子どもや高齢者のケアを誰が担うのか、家族が利用できる公共サービスはどの程度あるのかといった条件が、家庭の経済状況を大きく左右します。

同じ能力と意欲を持つ二人がいたとしても、一方は保育サービスを利用でき、もう一方は子どもの世話を一人で担わなければならないとすれば、就業の機会は大きく異なります。家族の介護を担う人も、利用できるサービスの有無によって、働き続けられるかどうかが変わります。

こうした違いを、個人の努力不足として片づけることはできません。家庭経済は、労働市場、福祉国家、家族制度が交差する場所にあるからです。

家族を支える制度は、社会全体の生産力にも影響する

家庭で行われる育児や介護は、現在の生活を支えるだけでなく、将来の社会にも影響します。子どもが教育を受け、健康に育つことは、将来の人的資本の形成に関係します。働く人が家族の介護によって職業生活を断念しなくて済むことは、社会が蓄積してきた技能や経験を維持することにもつながります。

また、家庭内の無償労働を担う人が就業を継続できれば、家計所得の向上だけでなく、税や社会保険料の負担基盤にも影響します。反対に、ケアの負担が家庭内に集中し、働ける人が働けなくなれば、社会全体で活用できる労働力が失われる可能性があります。

したがって、福祉サービスは、困っている人を救済するためだけの制度ではありません。人々が能力を発揮し、生活を維持し、社会に参加し続けられる条件を整える制度でもあります。

家庭経済の核心は、福祉の負担と選択肢をどう分配するかにある

家庭経済を考えるとき、最も重要なのは、家族がどれだけのお金を使うかだけではありません。誰が家事や育児、介護を担い、誰が賃金を得る機会を持ち、誰が自立した生活を営めるのかという問題です。

家族が福祉を担うことは、社会にとって欠かせません。しかし、その責任が特定の人々、とりわけ女性に集中すれば、経済的な格差や就業機会の不平等が生まれます。家族の支援を当然視する制度は、家族から支援を得られない人を不利な立場に置くこともあります。

このため、家族の役割を理解するには、国家や市場との関係を同時に考える必要があります。家族が担うべきこと、社会全体で支えるべきこと、個人が選択できるようにするべきことを見極めなければなりません。

家庭は私的な領域に見えますが、そこで行われる意思決定は、雇用、所得、出生率、社会保障、将来の労働力にまで影響します。家族のあり方を変えることは、社会のあり方を変えることでもあります。

福祉国家の持続可能性を考えるうえでも、家庭のなかで誰かが無償で担っている仕事を見えないままにしておくことはできません。家族を支える制度を整えることは、個々の家庭を助けるだけでなく、社会全体が福祉を生み出し続けるための基盤を整えることなのです。